杉本周徳(すぎもとしゅうとく) (1844~1928)

医師・杉本周楨(すぎもとしゅうてい)の長男として中条新田に生まれる。14歳の時から父に医学を学び、20歳になると江戸に出て尾台榕堂の塾「尚古堂(しょうこどう)」に入門して榕堂の元で漢方の研鑽に努める。3年後に帰郷して父と医業を頑張りながら、寺子屋(昔の学校)も営んだ。
杉本周徳もまた尾台榕堂と同じく貧しい人からは礼金を取らずに治療する仁医であったといわれる。

また、戦争に行った軍人の家族の世話をし、高龗神社に奉公碑、長泉寺に忠魂碑を建てたり、母の遺金で入山道の滝ノ沢二町歩に松苗、杉苗を植えて後の仁貞育英財団基金を作るなど、医者のかたわらで貧しい人たちの救済など社会事業につくすとともに地域の教育、文化の発展に大きく貢献した。