<あいうえお順に掲載しています。>
2010年 6月
中条には古くから伝わるすばらしい歌や踊りがあります。
その中から「天神囃子」、「八幡の森」、「大の坂」をご紹介します。
越後の新田一族である大井田氏は中条にある県史跡大井田城を本拠地としていたと推定されています。
大井田城主の大井田経隆(つねたか)は元弘三年(1333)新田義貞が鎌倉幕府を倒すために挙兵した時、真っ先に中条から駆けつけました。
また経隆の子、氏経(うじつね)は足利尊氏兄弟が大軍で京都に攻め上がってきた時、大将として岡山県にある福山城にたてこもり100倍の足利軍を相手に奮戦し、その後も新田義貞らとともに南朝のために戦い続けました。これらのことは「太平記」に詳しく記されています。
平成3年からは全国大井田氏サミットが続けられています。
中条の大井田城主大井田経隆と大井田城が人気漫画「山賊王」第11巻に載っていました!
講談社コミック 「山賊王」 著者:沢田ひろふみ
(掲載につきまして漫画家沢田ひろふみさんと講談社さんからご快諾をいただきました。
たいへんありがとうございました。)
尾台榕堂は幕末に町医者として江戸中にその名を知られた名医であり、現代においても漢方の最高峰と称されています。たくさんの著作がありますが特に「類聚方広義(るいじゅうほうこうぎ)」は名著中の名著で、漢方を学ぶ人は誰もがこの本を通らねばならないといわれます。
将軍徳川家茂(とくがわいえもち)から御典医(ごてんい)となるよう請(こ)われた時、今まで通り庶民(しょみん)の診療もできること、いつもお城にいるのではなく用があるときだけとすること、御典医は丸坊主にすることになっているが頭をそらないでいいこと、この3つの条件を認めさせたことは有名です。
尾台榕堂は中条下町(しんまち)の小杉家に生まれ、幼名を四郎治(しろうじ)と言います。江戸に出て尾台浅嶽(おだいせんがく)の元で修業し、後に尾台家を継ぎました。尾台榕堂の偉大さは傑出(けっしゅつ)した名医であるとともに、人間愛にあふれ、心に仁を持って治療にあたり貧しい人であっても親切をつくした仁医であったことです。
(漫画 「尾台榕堂物語」より 絵:斉藤ひさお)
【尾台榕堂没後140周年記念事業】
平成22年は尾台榕堂の没後140年であり、これを機会に尾台榕堂を顕彰し、人づくり、まちづくりに活かすべく記念事業として下記の取り組みを行います。
◇漫画「尾台榕堂物語」改訂版作成
◇「尾台榕堂伝」(佐野良吉著)増刷
◇肖像画の作成
◇墓碑銘読み下し解説書の出版
◇遺品遺墨展の開催
◇記念事業のしおり作成
◇没後140年記念講演会の開催(11月頃)
◇140回忌法要の実施(11月頃)
◇記念祝賀会(11月頃)
笹山遺跡は標高170m~180mの信濃川の河岸(かがん)段丘(だんきゅう)上にあります。昭和55年~60年にかけて笹山野球場、陸上競技場などの建設に伴って7次にわたる発掘調査が行われました。
合計15,460㎡の範囲が調査され、石組(いしぐみ)炉(ろ)、埋設(まいせつ)土器(どき)などの遺構(いこう)が数多く見つかったほか、大量の土器、石器などが出土し、遺跡の一部は平成4年に市の史跡に指定されました。また、中世の集落跡も発見されています。
縄文の遺構は笹山縄文館(スポーツハウス)付近を中心として長軸110m、短軸100mの馬(ば)蹄形(ていけい)に分布しており、縄文時代中期中葉~末葉(今から約4,500年~4,000年前)を中心とする大規模な集落であったことが明らかになり、縄文の聖地であり中心地のひとつであった可能性が言われています。
笹山遺跡で発掘された火焔型土器群をはじめとする出土品928点は、平成11年6月7日に新潟県初の国宝に指定されました。
中条には今までにたくさんのすばらしいお客様がおいでになり、中条の応援団になってくださっています。そして、私たちにすてきなメッセージを送ってくださいました。
掲載順は、あいうえお音順となっております。