尾台榕堂(おだいようどう) 1799~1870

尾台榕堂は幕末に町医者として江戸中にその名を知られた名医であり、現代においても漢方の最高峰と称されています。たくさんの著作がありますが特に「類聚方広義(るいじゅうほうこうぎ)」は名著中の名著で、漢方を学ぶ人は誰もがこの本を通らねばならないといわれます。

将軍徳川家茂(とくがわいえもち)から御典医(ごてんい)となるよう請(こ)われた時、今まで通り庶民(しょみん)の診療もできること、いつもお城にいるのではなく用があるときだけとすること、御典医は丸坊主にすることになっているが頭をそらないでいいこと、この3つの条件を認めさせたことは有名です。

尾台榕堂は中条下町(しんまち)の小杉家に生まれ、幼名を四郎治(しろうじ)と言います。江戸に出て尾台浅嶽(おだいせんがく)の元で修業し、後に尾台家を継ぎました。尾台榕堂の偉大さは傑出(けっしゅつ)した名医であるとともに、人間愛にあふれ、心に仁を持って治療にあたり貧しい人であっても親切をつくした仁医であったことです。

(漫画 「尾台榕堂物語」より 絵:斉藤ひさお)

【尾台榕堂没後140周年記念事業】

平成22年は尾台榕堂の没後140年であり、これを機会に尾台榕堂を顕彰し、人づくり、まちづくりに活かすべく記念事業として下記の取り組みを行います。

◇漫画「尾台榕堂物語」改訂版作成

◇「尾台榕堂伝」(佐野良吉著)増刷

◇肖像画の作成

◇墓碑銘読み下し解説書の出版

◇遺品遺墨展の開催

◇記念事業のしおり作成

◇没後140年記念講演会の開催(11月頃)

◇140回忌法要の実施(11月頃)

◇記念祝賀会(11月頃)