尾台榕堂(おだいようどう) (1799~1870)

尾台榕堂幕末に町医者として江戸中にその名を知られた名医であり、現代においても漢方の最高峰と称されています。たくさんの著作がありますが特に「類聚方広義(るいじゅうほうこうぎ)」は名著中の名著で、漢方を学ぶ人は誰もがこの本を通らねばならないといわれます。

将軍徳川家茂(とくがわいえもち)から御典医(ごてんい)となるよう請(こ)われた時、今まで通り庶民(しょみん)の診療もできること、いつもお城にいるのではなく用があるときだけとすること、御典医は丸坊主にすることになっているが頭をそらないでいいこと、この3つの条件を認めさせたことは有名です。

尾台榕堂は中条下町(しんまち)の小杉家に生まれ、幼名を四郎治(しろうじ)と言います。江戸に出て尾台浅嶽(おだいせんがく)の元で修業し、後に尾台家を継ぎました。

尾台榕堂の偉大さは傑出(けっしゅつ)した名医であるとともに、人間愛にあふれ、心に仁を持って治療にあたり貧しい人であっても親切をつくした仁医であったことです。