中魚沼郡中条村の政治家。政治家としてだけでなく実業家としても有名。
なお、写真家の岡田紅陽は岡田正平の弟である。
早稲田専門学校で勉強し、尾崎行雄、犬養毅、河野広中という優れた3人に気に入られる。
1897年(明治30年)に21歳で中条村長になる。
1910年(明治43年)に魚沼鉄道株式会社を作り社長になる。
1911年(明治44年)に34歳で新潟県議会議員当選。同年に魚沼水力電気株式会社を作り社長になる。
1946年(昭和21年)に新潟県農業会長を務める。
1947年(昭和22年)に新潟県で最初の民選知事に就任。
「農は国の本也」の理念を持って、農業振興に尽力した。
幾多の社会事業に尽くし、三面川ダム発電と世紀の大事業といわれた奥只見ダム発電事業を成功させた。